創業87周年のコーヒー専門店です。
1930年、昭和5年創業。
当店が産声を上げたのは昭和5年、戦前の大恐慌の最中でした。当時まだ非日常のものだったコーヒーを、兵庫県北部、山陰地方と呼ばれる陸の孤島で広めようと開店しました。
兵庫県といえば神戸港という海外との貿易が盛んな港があり、文化の交流も盛んだったのではないかと思われる方も多いと思います。しかし、ここ豊岡は今現在でも高速道路がなく、新幹線も通らず、なんと京都・大阪・神戸のどの大都市とも片道3時間近くかかるのです。当時はおそらくもっと交通の便も悪く、情報の交換もなかったでしょう。
そんなこの地で初代店主はコーヒー店を開業したのです。夏の終わりの事でした。カナカナカナ・・・とヒグラシが鳴いていたころ開店したという風に伝えられています。
写真:「移動喫茶室」と銘打って。蝶ネクタイ姿が初代店主。
その横の金色に輝くあやしげな機械はコーヒーアーン(保温ディスペンサー)です。
珈琲文化。
文化としてのコーヒーを但馬に地に根付かせるべく、奮闘していたようですが今でも残る当時のチラシやポスター、写真を見る限りでは自らも楽しみながらだったのではないでしょうか?
右/昔の本店外観を描いたガラス絵(裏から着彩)
左/当店のメインイメージのひとつ。字をみると「コヒー」(笑)
山陰豊岡
ざっくりとですがこの辺りが豊岡です
兵庫県の北部、日本海側に面するここ豊岡市。
ヒグラシ珈琲本店は合併前の旧豊岡市中心市街地にあります。
寒暖の差が激しく日本海側故の天候に優れない日も多いですが、豊富な海と山の幸や海水浴やスキーといったレジャーも楽しめ、城崎温泉を擁する城崎や皿そばで有名な出石町もここ豊岡市内になります。
市街地は合併前の旧豊岡市の中心地であり、鞄産業やコウノトリが有名です。交通網が整備される以前は円山川流域を行き来する船舶の船着き場があり、山陽方面と日本海側の鳥取、京都方面を繋ぐ要所としても但馬地方の経済の中心地でありました。
市内各所には昭和初期に建てられた近代建築物群が点在し、その多くは1925年に起こった北但大震災からの復興建築群。
当店大開通り本店もその一つになります。
自家焙煎
しっかりと火を加える深めの焙煎は機械が新しくなっても続き、ヒグラシの焙煎の特徴となっています。
右/現在主に使用している中型焙煎機。
左/薪火焙煎機。こちらもまだまだ現役です。